生きるのが辛いと思う人にこそ知ってほしい アドラー心理学

ライフ

みなさんこんにちは!
突然ですがみなさんはアドラー心理学はご存知でしょうか?

ご存知でない方のために簡単に説明すると、フロイト、ユングに並ぶ心理学の三大巨塔の一人のアドラーが提唱した心理学です。
フロイト、ユングは比較的聞いたことがある人が多いのではないのでしょうか。今回は耳馴染みの少ないアドラー心理学とはなんぞや?という事を私なりに噛み砕いて説明します。

興味が出たら是非「嫌われる勇気」をお読いただけると幸いです。
世の中がどれだけシンプルかという事を気づかせてくれるきっかけになると思います。
※以下の文章はアドラー心理学を個人的に解釈したものなので厳密には表現が間違っている場合もあります。

アドラー心理学との出会い

私がこのアドラー心理学を知る切っ掛けとなったのは名著「嫌われる勇気」です。
当時の私は自己肯定感が低く、よく自己嫌悪に陥っていたのですが、どうにか改善したいと思っていました。
そんな折に知り合いが自己啓発本として、嫌われる勇気がとてもいい本だと語っていたのを思い出し、Aamazonで嫌われる勇気を購入したのがスタートでした。

タイトルからは孤独に負けない為の思考法なのかと思いましたがその逆を行くものでした。

原因論と目的論

急に難しくなりそうな見出しですが安心してください、ちゃんと解説します(*^^*)

・原因論
過去の結果が有るから今が有るとする考え方

・目的論
自分の目的を叶える為に今が有るとする考え方

簡単に説明するとこんな感じなのですが、具体例があったほうが理解がしやすいと思うので例を挙げてみます。

「自分が卑屈な性格なのは過去の経験(過去)のせいだ、だから人に嫌われてもしかたない(今)」これは原因論的な考え方です。皆さんにとって身近な考え方ではないでしょうか。

目的論ではどう考えるのかというと「人に嫌われてもいいように(目的)卑屈でいよう(今)」といった具合になります。
目的を叶える為に性格を作り上げてるとも言えます。

誤解を恐れずに言うのであれば原因論とは過去によって今が決まってしまう考え方と言っても過言ではありません。

一方目的論は目的さえ定めてしまえば、そこに現状が付いてくるという考え方です。

今を決めるのが「過去」か「未来」かの違いです。
過去に決められてる現在よりも、未来で決まる現在の方が明るい気がしませんか?

タテの関係とヨコの関係

これは会社での上下関係、同僚との関係とは違ったお話です。
※考え方に限定した話なので実務等の事は考慮に入れていません。

自分が正しいと思った時相手に対してマウントを取る事はありませんか?
「自分は正しい、だから改善すべきだ」もしこの言い分が通ってしまえば上下関係が出来てしまいます。いわゆるタテの関係です。
人間関係において上下関係と言うのは健全ではありません。

他人は自分と違う意見を持っている、そこに善悪はない」と理解して居れば自分が正しいなどとい驕った考え方には成らないでしょう。
互いの考え方を尊重出来てこそ良い関係、いわゆる横の関係が築けます。

課題の分離

またしても難しそうな話題ですね((+_+))
こちらも分かりやすいように解説したいと思います。

課題の分離とは、自分の課題と他者の課題を分ける事です。必要以上に相手の問題を抱えて悩む事が無くなります。
誰の課題かを考える時に分かりやすいのは、最終的に誰が困るかで考えると分かりやすいかもしれません。

例1)勉強をしない子供と勉強をさせたい親が居たとします。
勉強をするのは子供の課題です。勉強をしない事によって最終的に困るのはその子供だからです。
親としても自分の子供が勉強が出来きないのは困りごとですが、それは親としてのメンツが傷つけられるといった個人的な物です。
経験からなんとなく分かると思いますが、自分のやろうとしてる事を人に口出しされることほどモチベーションが下がるものです。
なので他者の課題へは介入しない事がよいとされています。

例2)職場でのお話です。
仕事が出来ない癖に部下をいびる上司が居ます。このせいで仕事が捗らないと言います。
ですがこの考え方は課題の分離が出来ていません。部下をいびる事は上司の問題ですが、仕事が出来ないのは自分の問題だからです。
自分の仕事が終わらなくて困るのは自分です。 上司に問題が有るとしてもそれはそれです。自分がやるべきことをやるしかありません。
上司のせいにしたところで結果が好転するものでもありません。
「この人は立場が低い人間にしか物が言えないかわいそうな人なんだな」位に思っておけばいいのです。

自分の人生を生きる

何を当たり前の事をと思う人も多いと思いますが、気づかないうちに他人の人生を生きている事は多々あります。

他人にどう映るか、どう思われるかを極端に気にして自分の振舞を決めている人たちです。

極端に言えば他人が望むであろう自分を演じているとも言えます
これの何がいけないかと言えば、自分が望んでいない事をするのでとても窮屈な思いをすると思います。
例えば、ひと昔前ではアニメや漫画を愛好する人たちを「オタク」と一括りの別称とされていた時期もありました。それ故に自分の趣味を隠してた人たちも居ます。自分の好きな物を隠さないといけないストレスというのは考えるだけでも辛いですよね。

自分の人生を生きると言うのは「自分に正直に生きる」こととも言い換えられます。
言い方をさらに変えるなら「自分勝手に生きる事」とも言えますね。

ただし前提が有って、「公共の福祉の反しない事」「法律に触れない事」など「人の迷惑に成らない範囲」での話です。
そうじゃないと北斗の拳の世界よろしく無秩序になっちゃいますからね(‘Д’)

自分がどういった思想を持とうがどういった趣味を持とうが人様に何か言われる謂れはありません。
自分がしたい事、想うことが自由であってこそ豊かで幸せに暮らせるとは思いませんか?
課題の分離と被る部分は有りますが、自分の人生をどう生きるかは自分の課題です

だから自分の生き方に口を挟ませたり、他人の生き方に口を挟んではいけないのです。

勇気づけ

皆様にはあまり耳なじみのない言葉ではないでしょうか。聞いたことが有るであろう言葉に直すのであれば「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」がしっくりとくるのではないでしょうか。

これは文字通りの言葉なのであまり説明は要らないと思います。
勇気付けとは「馬を水辺に連れていくこと」です。

選択肢を提示してその後は相手に決めさせるのです。決してこうするべきという決めつけはするべきではありません。
その人を思うのであればこそ、その人に決めさせるべきなのです。
もし悩んでいるのであれば一つの意見としてこうしたらいいんじゃない?と提案する事はとても素晴らしい事ですが、その意見に傾かせようとしてはいけません。

課題の介入は人間関係を拗らせる要因にもなります。

そして何より「あなたはその人の人生の責任をとれますか?」

下手なアドバイスは「あなたの言う通りにしたのにし私の人生台無しだ!」と言われるリスクをはらんでいます。
正直こんなこと言う人間との関係なんて持つべきではありません。ただ人間は追い詰められれば余裕がなくなります。


普段こんなことを言わない人でさえ時と場合によっては言ってもおかしくありません。その時に貴重な友人を失う可能性を考えれば、不用意なアドバイスは誰にとっても良い物でないと思います。

まとめ

アドラー心理学の主要である「目的論」「タテヨコの関係」「課題の分離」「自分の人生を生きる」「勇気づけ」についてなるべく分かりやすく書いたつもりです。
こういった考え方もあるのかと興味を持って頂けたら是非「嫌われる勇気」を手に取って頂ければと思います。
人生の新たな価値観が生まれると思います(*’▽’)

私はこの本と出会えたお陰で人生がつらいものから楽しい物へと変わりました。
今が苦しいと思える方に是非とも読んで頂けたらと思います。

それではこの辺りで失礼します。

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